水道事業の沿革

公開日 2014年2月13日

更新日 2019年2月20日

(1) 水道事業のあらまし

 中野地域における最初の水道は、大正12年に大黒町108戸と中町73戸の簡易水道である。このときの水源は郡役所井戸と天神井戸であった。当時の中野町では、町の東北端を流れる夜間瀬川の清流を取り入れ、水路によって飲料水はもとより雑用水、農業用水等に利用をしていた。
 大正に入り毎年腸チフスが発生、大正10年、11年には200余名の患者を出し、上記簡易水道が引き金となり中野町会も本格的に水道に取り組むこととなった。大正13年には工事に着手し、栗和田地区に水源を求め、昭和2年1月に1,161戸に給水を始めた。また、栗和田浄水場の水神さんはこの時に建設された。
 昭和29年、中野市が発足した当時の重点施策は、統合中学の建設、橋の整備、耕地整理、道路網の拡張、市営バスの経営と並んで全市水道の普及であった。昭和30年、全市を水道にするため、第1次5か年計画が樹立され、翌昭和31年に総事業費1億6千万円で着工した。
 豊田地域においては、昭和31年の豊井村・永田村合併に伴う新村建設計画で全村水道事業に関する事項として「財源の見通しがつき次第上水道事業を行う」と決定された。当時の豊田村は、集落単位で水道施設が有るところと無いところがあり、あっても沢水を水源としており、大雨の時などは水が濁るなど供給体制は不安定であった。
 昭和36年、村民の強い要望により水道布設計画の調査費を計上、同年9月に上水道布設研究委員会が20名で発足し、重点事項として水道水源と水利権関係の問題等協議された。同研究委員会ではその間、斑尾山麓に水源を求め、水源の調査、水利権の調整、先進地の視察などを実施した。当時、集落単位の水道施設が44箇所あまりあったが、水質検査では飲料水に適した水はわずかしか存在しなかった。また火災等に対応する消火栓もなく、水道管布設に併せ消火栓設置が強く要望された。
 昭和43年、地域の同意を得るなかで、斑尾山山麓に試掘ボーリングを行った結果、有望である水源〈1号・2号井戸〉を確保することができたことから、昭和44年、広域簡易水道として計画人口5,700人、計画給水量1日最大1,210トンで国へ新設事業認可申請をし、国の認可を受けて、昭和44年度から工事が本格的に始まった。工事の進捗と併せ給水申込も行われ90%を超える申し込みとなった。
 

(2) 上水道の現況

(2018年3月31日現在)

上水道の現況
水道事業名 経営主体 給水区域 計画1日最大水量 計画給水人口 現在給水人口
上水道事業 中野市

中央一丁目、中央二丁目、中央三丁目、中央四丁目、三好町一丁目、三好町二丁目、西一丁目、西二丁目、小舘、諏訪町、東山、南宮、中野、小田中、西条、一本木、間山、新野、更科、桜沢、三ッ和、篠井、新保、江部、岩船、吉田、片塩、七瀬、安源寺、栗林、牛出、立ヶ花、草間、大俣、田麦、厚貝、壁田、新井、若宮、竹原、金井、間長瀬、笠原、赤岩、越、深沢、柳沢、田上、岩井、上今井、豊津、穴田、永江

18,500立方メートル 43,300人 43,563人
高社高原小規模水道 (有)浅日ゴルフ倶楽部 牧ノ入、中小屋

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- - 18,500立方メートル 43,300人 43,563人

(3) 拡張事業等の推移

中野地域における事業の推移

栗和田浄水場の写真

 昭和31年から上水道5か年計画として、竹原地籍に水源を求め、中野、日野、延徳、長丘、平岡の各地区へ配水し、さらに、片塩地籍に水源を求め、大俣を含む高丘地区へ配水した。
 しかしながら、竹原水源では予想した水量を得られなかったため、事業費を1千万円追加し、山ノ内町戸狩地籍に新たに水源を求め着工した。 この工事は、台風による送水管の流失、工法変更など多くの難関を乗り越えて中野地区の配水管のほとんどを入れ替え、平岡、長丘、日野、高丘、延徳地区(桜沢を除く)の配水管布設をし昭和35年12月に、5か年計画は完了した。
 昭和37年には給水量の増加への対応と桜沢地区への給水のため、第2次拡張計画による事業を行い、昭和41年からは第3次拡張事業として、緩速ろ過池だけであった栗和田浄水場に、急速沈殿池と急速ろ過池を建設、中野配水池に中野市では初めてのPC工法による円形の配水池 1,211立方メートル を増設した。
 昭和47年から昭和49年にかけて第4次拡張事業として、一本木、松川、新井地域の水圧の低い地帯の断減水を解消し、あわせて将来の国道292号線沿いの給水を確保するため、竹原の中島地籍に深井戸と一本木地籍に一本木配水池を建設。なお、未給水地域の解消をはかるため計画を進めていた越、赤岩、柳沢の北部簡易水道は、昭和44年10月着工以来工事が進み、昭和47年3月に総事業費7,480万余円で完成し、未給水地域の一部解消が図られた。
 昭和51年から昭和55年(第5次拡張事業)には、想定される給水需要の増加に応じられるよう吉田水源に深井戸 2,300立方メートル/日 の拡張をしたほか、国道292号線にも配水管の布設をした。

田麦浄水場の写真

 昭和58年当時の公称能力は 15,000立方メートル/日であった。しかし、昭和60年度に予定される公共下水道の供用開始、さらには工業用水等の需要の増加に対応するため、当面の水需要目標年次を平成7年度と定め、既設水源の供給量の減少を見込みながら、新たに13,910立法メートル/日の水源開発(第6次拡張事業)を行い、昭和63年2月には一部を供用開始、目標を4年間短縮し平成3年度に 総事業費29億1,700万で完成した。この第6次拡張事業では、基礎調査の結果、古牧地区の千曲川からの伏流水を水源に、立型集水井で取水し、この水を田麦浄水場に導水、そこで浄水された水は、一本木第2配水池等に送水され、既設の配水系統により給水されている。
 平成4年度には七瀬地区が簡易水道を廃止し、上水道に編入、さらに間山区の3箇所の簡易水道についても、平成6年度に上水道へ編入するための認可を得て、農業集落排水事業の工事と合併で配水管工事を行った結果、平成11年にすべての地区で供用開始となった。
 将来北信の中核都市として人口の増、工業の発展、下水道普及による生活の向上等々により、水道水の大幅な増が見込まれ、また当時使用中の地下水の一部に水質の悪化、枯渇等の不安定要素もあり、安定した水道水の供給を図るため多目的ダムである県営角間ダムからの取水を計画し、夜間瀬川総合開発事業促進期成同盟会を山ノ内町と結成し促進活動を行った結果、平成7年度に建設採択となり、実施に向け各種調査が行われた。
 しかしながら新しく誕生した田中康夫知事は、ダムの建設に頼らない治水・利水を目指すとして「脱ダム宣言」を平成13年2月20日に行い、県議会では、「県治水・利水ダム等検討委員会」設置条例が制定され、県が計画しているすべてのダムについて再検討がされた。
 角間ダムについては、平成14年10月18日の第1回部会から計12回の部会審議と1回の公聴会が開催、平成15年3月27日にダムなし案、ダム案の両論併記をして検討委員会へ報告されたが、平成15年7月28日、長野県治水利水対策推進本部会議において「ダムなし」の県方針が決定され、市に対し説明がなされた。さらに、平成16年3月1日、角間川流域協議会が会員22名により発足し、ダム建設について全16回の討議、検討を重ねた結果、賛否両論併記の提言書が県に提出された。その後、県の公共事業評価監視委員会により角間ダムいては「一時休止を継続する。」という報告がされ現在に至っている。

 
中野市上水道中の第2水源伊沢川取水口(山ノ内町戸狩地籍)の写真

 平成29年度末の配水管網の総延長は 348.0キロメートル、その内訳は鋳鉄管・鋼管 275.9キロメートル、塩化ビニール管・ポリエチレン管 64.6キロメートル、石綿セメント管 5.7キロメートル、その他の管 1.8キロメートルとなっている。石綿セメント管は第1次拡張時(1956~1960度)に布設されたもので、耐用年数を経過して老朽化が著しく、漏水の主な原因であった。そのため、対策として昭和55年度にこれら既設管の長期整備計画を立て、地区ごとに老朽度を調査し、年次計画により主にダクタイル鋳鉄管に布設替をしてきている。
 実施にあたっては、公共下水道事業や農業集落排水事業との合併工事、あるいは市、県道の改良工事等にあわせ効率的に施工している。

北部第1揚水場の写真

 越、赤岩、柳沢地区は、昭和44年度から昭和46年度にかけて建設されたが、近年、水需要ピーク時に一部給水不良地域が発生していたため、平成7年度に新たに赤岩地籍に地下水の水源を求めた。深沢地区は北部簡易水道施設改良事業として整備され、平成16年3月16日に供用を開始した。なお、水源については北部第1水源より供給され、配水管等の布設替えについては、農業集落排水管路工事に併せて実施している。
 田上、岩井、岩井東地区は、昭和58年から市農政課において、農村総合整備モデル事業の中の倭北部営農飲雑用水施設整備事業として整備され、昭和61年度に全地区へ通水し、上水道未設置地区は解消した。これにより、昭和2年中野町上水道の供用開始以来60年を経て、市内全域に水道が普及したのである。

豊田地域における事業変更の推移

第4号井戸の写真

 昭和44年9月1日付けで、郷露地区を除く豊田地域全域の水道として計画人口5,700人で発足し、昭和44・45年と事業を進めてきたが、美沢地区の集団移住に伴う給水区域の変更と、いづれ池、涌井地区(湧水)の取水の廃止に伴い、深井戸 第1号井 大字永江字ヤチ6550-1、第2号井 大字永江字ヤチ6467-1に取水位置を変更した。
 昭和47年3月30日に工事が竣工したが、第2号井 大字永江字ヤチ6467-1において、浮遊物を含んでいるのが確認されたため、新たに第2・3水源(表流水)及び第4湧水の3箇所の水源を確保し、取水位置の変更を行った。また、浄水方法についても取水位置を変更した水源において、急速濾過機にて濾過を行う方法に変更。
 第2・3・4水源(臨時水源)の取水契約の期限が終わるため、昭和49年3月30日付けで新たに、第3号井大字永江字西原7944-イ及び第4号井 三水村(現「飯綱町」以下同じ)大字芋川字入土橋8264に取水位置を変更した。

第5号井戸・赤坂配水池の写真

 昭和59年には、豊田地域における給水人口の自然増と団地造成計画による社会増により計画給水人口を6,000人に変更するとともに、計画給水量を1,880立法メートル/日に変更。なお、計画給水量の増は、新たな水源第5号井 大字豊津字赤坂8015を確保し対応した。
 その後、平成9年度に工事の着手を予定される公共下水道の供用開始に伴う水不足と配水管の老朽化による有収率の低下を解消するため計画給水量を2,500立法メートル/日に増やし、新たに、第5号井 大字穴田字穴田185-1及び第6号井 三水村大字芋川字入土橋8264-1の2箇所に水源を増設。
 豊田地域の下水道整備が進められ、平成11年度より一部供用開始されたことに伴い使用水量が増えてきているなか、赤坂水源(第5号井)及び穴田水源(第7号井)に水位低下が顕著に表れてきた。これらの状況を受け、水源の探査及び調査をおこなったところ、斑山地区 大字永江字斑山5124-62において、水量・水質ともに水道水に適している地下水が確保できたため、平成16年12月27日付けで、今後予想される水量の増加に対応するための新たな水源とした。

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