公開日 2016年11月29日
更新日 2020年12月11日
旧山田家住宅の「奥座敷」ほか6件(中野市大字江部字長井田46番地3)が2016年(平成28年)11月29日に国の登録有形文化財になりました。
登録文化財について
観光資源などに活用しながら文化財の保護を目的にした制度です。
現状変更が厳しく制限される国宝などの指定文化財に比べると、外観や内装を変更する制約が緩やかになっています。
建築後50年で登録対象となり、地方自治体からの情報を基に国が候補を選定し、文化審議会の答申を経て登録されるものです。
旧山田家住宅の奥座敷ほか6件は、中野市で初めての国登録有形文化財建造物です。
旧山田家住宅奥座敷(おくざしき)
建物の詳細
- 明治後期ごろ建築
- 47.10平方メートル
- 木造平屋建寄棟造り桟瓦葺真壁造り
明治中期建築し1951年(昭和26年)に移築されました。
奥座敷は客人をもてなす場として使用されていました。
建物の向きは、建築された当初から90度回転され、北庭からは樹木の表を南庭からは池と石組みを眺められるようになっています。
座敷全体の造りは数寄屋風で、茶をたしなんだ施主の考えがよく現された建物です。
旧山田家住宅新座敷(しんざしき)
建物の詳細
- 1953年(昭和28年)建築
- 29.61平方メートル
- 木造平屋建入母屋造り起り屋根、桟瓦葺き、真壁造り
新座敷は応接の場として計画されたものなのか主庭とは板塀と脇門で区画されています。しかし、縁から外へ出ると脇門は主庭側に閂(かんぬき)がなく、外からのお客様が自由に主庭に入れるように考えられています。
また、座敷の材料は施主が10年の年月をかけて収集した銘木の数々が使われており、想いを表現するために大工棟梁に支給した建物であることがうかがえます。
旧山田家住宅質蔵(しちぐら)及び文庫蔵(ぶんこぐら)
質蔵の詳細
- 1848年(弘化5年)10月2日上棟
- 24.79平方メートル
- 木造2階建切妻造り、桟瓦葺き、土蔵造り
文庫蔵の詳細
- 1848年(弘化5年)10月2日上棟(大修理か)
- 1798年(寛政10年)11月造営(山田以文禄)
- 24.79平方メートル
- 木造2階建切妻造り、桟瓦葺き、土蔵造り
北面の国道403号沿いに建ち、外観は北面土蔵群として一連の景観を作っており、水路に沿った基礎のボタモチ石積みと白壁、下見板が美しい景観を作っています。
文庫蔵の2階の小屋に使われている棟木や梁、そのほか一部の部材は1798年(寛政10年)の木材を使用しているとみられています。また、1階の床下は梁で飛ばし束はなく、中央部に大きな水抜き穴と思われる穴があり、土間はたたき仕上げとなっており、特に湿気に対する配慮がされています。
旧山田家住宅裏門・台所味噌蔵及び事務所
裏門の詳細
- 1880年(明治13年)ごろ(外観)
- 20.66平方メートル
- 木造2階建切妻造り長屋門、桟瓦葺き、大壁及び真壁造り
台所味噌蔵及び事務所の詳細
- 1880年(明治13年)ごろ建築
- 66.10平方メートル
- 木造平屋切妻造り、桟瓦葺き、大壁及び真壁造り
裏門は、「飯山城門遺構調査報告書」によると旧飯山城門の門で、1879~1880年(明治12~13年)ごろ移築されたとされています。また、2階の小屋組は左右の蔵との外見を揃えるために切り詰められたと思われます。
北面の土蔵群の中にあって、欅造りの門がより豪農の風格を醸し出しています。
台所味噌蔵及び事務所は、質蔵、文庫蔵に連なり、水路に沿った基礎のボタモチ石積みと白壁下見板が美しい景観を作っています。事務所の洋室は大壁の漆喰塗りで天井には、漆喰塗りの中心飾りが残っています。ここには土間もあり帳場として使用されていました。元は薪小屋でしたが、大正期に内部が改造されたものです。
旧山田家住宅隅蔵(すみのくら)
建物の詳細
- 幕末に建築
- 53.71平方メートル
- 木造平屋建切妻造り、桟瓦葺き、土蔵造り
北面国道403号沿いに面し、西面の市道との隅に建つ文字通り隅の蔵です。
この蔵は1870年(明治3年)の中野騒動で焦げた部材の一部が残ってそのまま使用されています。
旧山田家住宅六間蔵及び二間蔵
建物の詳細
- 1880年(明治13年)ごろ建築
- 180.48平方メートル
- 木造一部2階建切妻造り、桟瓦葺き、土蔵造り
外見は隅の蔵と塀で繋ぎ、酒売場と一連で西面の景観を作っていて、水路はないですがボタモチ石積みと白壁、下見板が美しい景観を作っています。
この蔵も北側の土蔵群と同じように水害を考慮して作られています。
六間蔵の2階は、戦後作られたもので、外観も美しいですが内側の下屋からこの蔵を眺める景観も庭園と共に美しい空間を作っています。