市立博物館

1階 常設展示室

公開日 2022年06月02日

SDGs4のマークです

旧石器時代(約30,000年前)から現代に至るまで、ふるさとの歴史・文化・自然とその移り変わりを示す資料(標本・考古資料・文献資料・民俗資料など)を展示しています。

さまざまな地形と動植物

中野市は山地・丘陵・盆地低地部・扇状地などのさまざまな地形から成り立っています。

太古の中野市は、北(日本海)に向かって開く大きな海の底でした。その後、火山活動や山地の隆起によって陸地となりました。

中野市のさまざまな地形がさまざまな環境をつくりあげています。その環境に北方系、日本海側系の動植物が生息し、また、大きく見れば山地地形であるにも関わらず、平野部に生息する動植物が見られます。

十三崖のチョウゲンボウ繁殖地

チョウゲンボウはタカの仲間です。タカなどの猛禽類の鳥は互いに離れた場所に巣を作りますが、日本ではチョウゲンボウが集団で巣を作ります。

十三崖はチョウゲンボウが集団で巣を作る崖として、世界的にみても貴重な崖です。チョウゲンボウがなぜ集団で巣を作るのか、なぜ日本に多いのかはよくわかりません。

1953(昭和28)年、十三崖は国の天然記念物に指定されました。

遊動から定住の生活へ

中野市には中部高地を代表する土器である栗林式土器が最初に発見された栗林遺跡、東日本で初めて銅戈・銅鐸が発見された柳沢遺跡などの大きな弥生時代(約2,000年前)の遺跡があり、全国的に有名です。

また、日本列島に人類が生活を始めたころの旧石器時代(約30,000年前)の沢田鍋土遺跡、イギリス・大英博物館開催の「土偶展」に出品された縄文時代中期(約5,000年前)の土偶が発見されている姥ヶ沢遺跡などがあります。

武士の台頭と戦乱の時代

平安時代の終わりごろ、平氏某が藤原助弘を中野西条郷の役人に任命し、助弘はやがて中野氏を称するようになります。

中世の戦乱の時代になると、高梨氏が中野地域を支配しますが、甲斐国の武田氏が信濃国に侵攻し、その勢力は中野地域にまで及びました。そのため、高梨氏は越後国の上杉氏を頼って中野を去ります。

その後、武田氏は織田信長によって滅ぼされ、信長の死後は上杉氏が北信濃を支配しました。それを機に高梨氏も中野に戻りますが、上杉氏の国替えによって再び中野を去ります。

平和な社会の到来と中野

長い戦乱の時代が終わり、江戸幕府の徳川将軍を頂点とする幕藩体制ができあがります。村では、村民による村運営が行われるようになりました。また、地域内での争いは実力行使から訴訟によって解決されるようになります。

中野は交通の要衝であり、周辺に江戸幕府の直轄領(幕府領)が多く設置されていたことから、江戸時代の初期から幕府の代官陣屋が置かれました。

江戸時代の後期には、寺子屋や手習いが人々の間に広がると同時に、富裕層を中心にさまざまな文芸活動がさかんになりました。

新しい時代と伝統

明治新政府は西欧の技術や文化を積極的に導入し、急速な近代化を推進しました。近代の日本文化は、既存の文化と新たに導入された西欧文化との間で揺れ動きながら築き上げられていきます。

従来からの社会が大きく変わり、生活様式も変わりましたが、人々は古くから伝わる伝統を受け継いできました。また、中野ゆかりの人々もさまざまな分野で活躍しています。

民俗資料展示コーナー

くらしの移り変わりを伝える生活道具や、かつて中野市を代表する生業のひとつであった杞柳細工など、日常で使われたさまざまな道具も展示しています。

柳沢遺跡展示室

国指定重要文化財である長野県柳沢遺跡出土品(銅戈・銅鐸、栗林式土器、吉田式土器、土製円盤、磨製石斧、石鏃、管玉など)を展示しています。

お問い合わせ

市立博物館
TEL:0269-22-2005

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