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公開日 2021年01月04日

更新日 2022年09月05日

 

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「中野・松川村家並絵図」【近世史】

この絵図は、高井郡中野村(現中野市)と松川村(現中野市)のようすを描いた「中野・松川村家並絵図」です。

中野村と松川村の町場の道筋と家並みが詳細に描かれており、江戸時代後期における中野中心市街地のようすをうかがうことができる貴重な資料です。

中野村と松川村の町場の道筋と家並みが詳細に描かれた絵図です「中野・松川村家並絵図」(白井家文書)

絵図の作成年代は明記されていませんが、中野村鈴泉寺前にある1849年建立の題目塔や高梨館跡公園内にある1853年建立の漢詩碑が絵図に描かれていることから、1850年代から1860年代に作成された絵図と思われます。

 

鈴泉寺前にある1849年建立の題目塔の画像です鈴泉寺・題目塔

 

高梨館跡公園の画像です高梨古城趾(現高梨館跡公園)

高梨館跡公園にある漢詩碑の画像です漢詩碑

中野村には中町、西町、新田町(のちの東町)の3つの町場が形成されており、それぞれの道筋の中央には水路が引かれていました。野口雨情の作詞、中山晋平が作曲した『中野小唄』で「町の真中に川がある」とうたわれた風景です。

江戸時代、中野村の中心となったのは中町と西町で、江戸時代初期から月9回の九斎市が開かれ、穀物・塩・茶・材木・布などが取引されました。中町には江戸幕府の出先役所である中野陣屋、中野陣屋で用を済ませる人たちが宿泊する郷宿、幕府の法令を周知する高札が掲示される高札場などがありました。1820年には高井郡上条村(現下高井郡山ノ内町)から温泉を引き込んで中野村に湯坪が置かれ、その周辺には温泉客を相手にした茶屋などが開かれ、湯町が形成されていきます。

 

                

       

 

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