作曲家 中山晋平

公開日 2014年2月6日

更新日 2024年2月1日

 中山晋平(なかやま しんぺい)は、大正から昭和にかけて3,000曲にもおよぶ歌を世に送り出した、中野市出身の作曲家です。

 晋平メロディーを育んだ美しいふるさとの自然

 晋平は1887年に新野村(現中野市新野)で生まれ、新野ののどかな雰囲気のなかで、のびのびとした子ども時代を送りました。

中山晋平写真

 音楽との縁は、尋常小学校時代のことで、 学校にベビーオルガンが備えつけられたことがきっかけだといわれています。一時は奉公に出るなど家計を助けるために苦労しましたが、学業は優秀で、近くの神社に伝わる式三番叟の笛役を務めるなど音楽でもその才能を発揮しました。高等小学校卒業後は、代用教員になり、子どもたちの音楽教育に情熱を傾けましたが、学問への志を絶ち難く上京。島村抱月(早稲田大学文学部教授・後の新劇界のリーダー)のもとで書生をしながら、東京音楽大学(現在の東京芸術大学)へ進学します。

 島村抱月との出会いが、晋平のその後の人生に大きく影響

 当時、抱月は芸術座を結成し、わが国に新しい演劇の道を切り拓こうとしていました。晋平は、抱月に依頼され「復活」の劇中歌「カチューシャの唄」を作曲。これが、カチューシャ役の松井須磨子とともに大ヒットをおさめ、晋平は作曲家として華々しいデビューをはたします。
 その後も「ゴンドラの唄」「さすらいの唄」などの流行歌を次々と作曲し、ヒットメーカーとしての地位を不動のものとしました。

 晋平の歌は、日本独特の旋律を生かした口ずさみやすいメロディーが特徴です。
 尊敬する恩師、抱月の「大衆なくして芸術はない」の信条に感銘し、一貫して大衆の心を作り続け、今も「日本人の心のうた」として、世代を超えて歌われています。

 永遠に歌い継がれてほしい珠玉の童謡

 歌謡界でヒットを飛ばす一方で、晋平は、北原白秋や野口雨情、西條八十といった詩人とともに童謡運動に参加し、「シャボン玉」「あの町この町」「背くらべ」など子どものための童謡を800曲余り作りました。
 それまで学校で歌われた修身や富国強兵調に対して、晋平の歌は平易で親しみやすく、1952年に死去した後も、多くの人々に愛唱されている歌がたくさんあります。
 なお、同じく中野市出身で、同時代を生き、唱歌「故郷」などを作詞した国文学者 高野辰之とのコンビでも、新民謡、団体歌各1曲を作っています。

中山晋平記念館写真

 作曲家、中山晋平の業績は、中野市民の大きな誇りです。永遠に歌い継がれてほしいとの願いを込めて、中野市では、生誕年の1987年に、中山晋平記念館を建設し、作品集や書簡、愛用品などの所蔵・展示をしています。生誕110年には、全国童謡・唱歌サミットの開催地にもなりました。
 また、1964年から始まった中山晋平記念音楽賞は、わが国の創作音楽の発展に寄与する活動として高い評価を得ています。 

 私たちの周りでは、たくさんの歌が流行し、そして消えていきます。そのなかで晋平のように時代を超えて愛される歌は貴重な存在です。晋平のメロディーと気さくで謙虚だった生き方は、中野市のこれからの人づくり、まちづくりのなかでしっかりと生かしていきたいものです。

中山晋平記念館 ホームページ
https://www.city.nakano.nagano.jp/categories/shinpei/

中山晋平記念館 フェイスブックページ
https://www.facebook.com/shinsyu.nakano.shinpei

お問い合わせ

くらしと文化部 文化スポーツ振興課 文化振興係
TEL:0269-22-2111(394)

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