高梨館跡公園

公開日 2014年02月17日

最終更新日 2017年08月03日

高梨館跡公園(たかなしやかたあとこうえん)

高梨館跡公園

タカトオコヒガンザクラ復元庭園・建物遺構

高梨館跡公園は、国指定史跡の高梨氏館跡一帯の面積1.5ヘクタールを、市民の日常生活に溶け込み、気軽に利用できる歴史的雰囲気を持った憩いの場として整備されました。

平成6年4月には、中野市制40周年記念として旧高遠町(現伊那市高遠町)から寄贈されたタカトオコヒガンザクラが10本植樹され、春になると色鮮やかな桜を眺めることができます。

なお、本公園は指定管理者制度により有限会社山本組が管理運営しています。

国指定史跡 高梨氏館跡(たかなししやかたあと)

高梨氏館跡は、鎌倉時代から戦国時代にかけて活躍した、北信地方の有力武士団高梨氏により築造されたと推測される中世の方形館跡で、東西約130m、南北約100mの規模をもつ北信最大級の館跡です。

館跡は、四方に堀及び土塁が良好に残されており、昭和61年から平成4年にかけて実施された公園整備のための発掘調査では、長野県内では唯一の事例である中世の庭園跡や、土塁が三段階以上の構築過程を経ていることなどが確認されました。

これらのことから、高梨氏館跡は、中部地方の武士団の文化的レベルや方形館の発展過程を示すものとして高く評価され、平成19年2月、国の史跡に指定されました。

高梨氏について

高梨氏は、第56代清和天皇の御孫尊王・源経基より6世の孫・盛光が祖となり高梨を名乗ったといわれています。

北信地方で高梨氏の勢力が拡大したのは鎌倉時代から室町時代にかけてで、戦国時代中頃までには中野地方を完全に支配下においたと考えられています。

戦国時代後半、甲斐武田氏と越後上杉氏の激しい抗争の中、高梨氏は世に名高い永録4(1561)年の川中島の戦いで上杉軍の先陣を務めるなど活躍しましたが、武田氏の勢力が北信地方に及ぶと高梨館からの退去と入居を繰り返しました。

武田氏滅亡後、北信地方が上杉氏の所領となると、高梨氏も一旦本領の一部を回復し高梨館に入居しましたが、慶長3(1598)年に上杉氏が会津へ移封されると、高梨氏も共に会津へ移りました。

所在地

 中野市小舘1069番4

交通アクセス

自動車をご利用の方

 上信越自動車道「信州中野I.C」より車で約15分

公共交通機関をご利用の方

 長野電鉄「信州中野駅」下車 徒歩約15分

駐車場

 15台(大型車用駐車場あり)

主な施設

  • タカトオコヒガンザクラ 10本
  • 高梨邸
  • 多目的広場
  • 芝生広場
  • 復元庭園
  • 建物遺構
  • トイレ

利用案内

お問い合わせ(公園使用等)

 指定管理者事務所

 電話:0269-22-5158

地図

高梨館跡公園